連載小説「いしのわた」9話

石綿職業病

 

美代子は突然のことで労災適用がどんなものか分からないが保障ということばにすがる思いでお願いしますと言った。現場では叱り飛ばすぐらい元気のある茂夫だが、聞くのがせいいっぱいだった。

「がん研病院では労災申請に向き合わないのでアスベスト専門の医師を紹介しますのですぐ行ってくださいね」

松本が専門医の住所を教えてくれた。

 

一月二十三日、組合から教えられた専門診療所に向かった。東京タワーが近くに見える所で、なんか見覚えがあった。そうだ茂夫が動けなくなった現場の近くだった。

しばぞの診療所のドアを開けると座る場所を見つけることが難しいほど混んでいて、茂夫が座れるところみつけた。待ち時間が長く茂夫は静かに目をとじて、美代子は所在なくたちながら待っていた。こんなに大勢の人がアスベストの患者ということにアスベストの恐ろしさを始めて実感した。

専門医の海老原医師の診察が回ってきた。白いドアを開けて二人で診察室に入った。

大学の医学部から肺呼吸関係の研究をしてきた海老原先生がレントゲン画像を見ながら説明してくれた。

「石川さんの肺はアスベストを吸った跡があきらかです。こんなに悪くなるまで良く働いていたね」

「アスベストによる肺疾患というと意見書を書いてあげるからすぐ支部に行って労災申請してくださいよ」

茂夫と美代子は改めてアスベストの病気が労災ということが解った。

 

翌日に支部事務所に行き松本と相談室に入った。

「石川さん、医学的な立証はできましたので今度は労働者の証明をしましょう」

松本は茂夫が生まれてからどこで働いたかを聞き始めた。

茂夫は

「古いことはわからないですが・・・・」

松本はヒントをメモにしていますからと紙を渡した。そのメモには中学を終わってからの仕事名、変わってからの事業所名を書く欄があった。そして、昭和三十九年の東京オリンピックの頃、結婚した頃、バブルの頃、ここ十年ぐらいに賃金をもらっていた事業所名。資料として現場や会社の旅行の写真、資格講習のカード、自分でつけている出面などの蘭があった。

松本が美代子に諭すようにはなした。

「奥さん、お父さんは病魔と闘っているので奥さんが気持ちをしっかりして調べてくださいね」

茂夫と美代子は思い出せるような気がして自宅にタクシーで自宅にもどった。

 

体調がすぐれない茂夫はコタツにはいりながら美代子の質問に答えた。

「お父さん、忘れた忘れたと言っても私はお父さんの古い話はわからないんだから少しずつ思い出してよ」

美代子は茂夫に悪いと思いながらも松本に言われた言葉を思い出して頑張り、十日ほど毎日書き出したらなんとか繋がったので、組合事務所に向かった。

松本はメモを見ながら言ってくれた。

「石川さんいろいろ思い出してくれたね。奥さん頑張った」

松本は笑顔で労をねぎらってくれた。

「あとは私がパソコンで整理しますので労災申請できます。ただし最後に働いた事業所の粉じん作業事業所証明と同僚証明を渡しますので書いてもらってくださいね」

「ニ月十日に労災申請しますので労働基準監督署のロビーで十時に待ち合わせしましましょう」

帰りのタクシーで茂夫は疲れて寝ていたが美代子も安堵感で急に疲れが出てきた。

美代子は家計が心配になり少しでも生活の足しにしようと近くのスーパーのパートを始めた。

 労働基準監督署で美代子は松本と二人で落ち合った。茂夫は外に出ることが出来ないほど弱っていた。

美代子は従事者証明書、同僚証明書も訪ね歩いて書いてもらい持参した。労災課は四階のありエレベーターで上がった女性の労災課長が対応してくれた。申請書類に一通り目してくれた。

「今日は預からせてもらい調査する担当官が決まりましたら組合に連絡します」

労災課長が話した。

 後日、組合事務所に電話が入り担当者は馬野目という監督官。茂夫の申請に対する本人聞き取りの日時も伝えられた。

申請人聞き取り調査に茂夫と美代子は出かけた。担当の馬野目監督官は三十半ばで表情が乏しかった。申請書に基づいて聞かれたので茂夫はそのまま答えることが出来たが、体調が悪く思い出せない箇所は美代子が助言してくれた。

「従業員ではあれば給与明細とか源泉徴収書はないんですか」

馬野目監督官に問われた。茂夫と美代子は二人で説明した。

「私たちは現場が日々変わることもあるので請求書が報告書でそれを基にして計算してくれるんです」

と美代子が答えたが馬野目監督官は

「何で請求書なんですか」

と執拗に聞いてきた。

美代子は少しいらだってきた。

「私たちは会社から毎日、現場を指示されてあっちこっちいきます。それで請求書に日にちと現場名を書いているのです。忙しいと私も行くのでその時は二人の計算になっています」

茂夫は疲れて聞いているだけだった。美代子は月めくりの建設組合の国保組合のカレンダーに印を付けたものを持ってきていたのでそれを見せた。

馬野目監督官は建設業界特有の元請け、下請け関係、そこで現場で働く人たちのお金の流れが理解できないでいた。いや、建設関係に関わらなければ建設業特有の労働環境が理解できないのが現状といえた。三時間にわたる聞き取り調査を終えたが、給料の流れとその方法については後日に松本から資料と共に説明することになった。

アスベスト労災では中皮腫の労働者期間は一年で認められることとなっているが、このような申請に馬野目監督官は不慣れだった。

七カ月もたった九月になり労災認定が確定した。認定確定は一枚のハガキに給付決定通知書が届くだけだった。

労災が認定なったことで療養費は無料になり、休業補償も働いていた時の日給の八割が給付になった。美代子はパートを辞めて茂夫の看病に専念することができた。