連載小説「いしのわた」7話

静かな時限爆弾

 

 二人の生活も落ち着いてきた。一つ美代子が困ることがあった。洗濯だった。現場で働いたあとの作業服を毎日洗濯しなければならない。絞り機の着いた洗濯機にいれる前に埃を落とした。部屋のなかで埃は落とせないので、外で布団たたきをつかってバタバタしてから洗濯機に入れた。美代子はいつも咳き込んでいた。美代子も現場に出ることもあったので一回だけでは済まないので数回に分けて洗濯した。

 「美代子、この頃咳が出るようになったし身体が怠くなった。胸から腹廻りむくむくして気持ちがわるいんだよ」

「お父さん、栄養ドリンクを買ってきたから車に入れて置くから飲んでみてよ」

 茂夫はどうしても身体がもどらないので近くの診療所に出かけた。

「肺のレントゲンもお腹のエコー検査もそれほど悪くないからもう少し様子を見てください」

美代子は心配だったのでもう一つの診療所に連れて行った。結果は

「タバコの吸いすぎかも知れませんね」

と言われたが茂夫はタバコを吸わない人だった。

 

 茂夫と美代子いつものように現場にワゴン車で仕事に出かけた。港区芝公園の美容学園の内装工事だった。内装工事は前の借主が使っていた事務所の解体工事から始まる。埃を払って車で昼飯を食べていたら茂夫が横になり動けなくなった。

 「美代子、胸が苦しくて動けない」

「背中から胸にかけてジーンとして駄目だから家に帰る」

 「お父さん、帰るったてどうする。車には道具は積んでいるし」

「少し横になって楽になったら、何とか運転して行くから監督には風邪をこじらせたと言ってこい」

と言った。小柄だけどこれまで病院にいくことも無かった茂夫の言葉に美代子はびっくりした。すぐ、現場監督に伝えて家に帰ることにした。茂夫が休み休み運転してなんとか家にたどりついた。布団に入って横になったが具合はもっと悪くなっていた。

 美代子はタクシーで、心臓病に強いという葛飾区にある堀切病院に連れていった。検査をするので入院になった。入院して五日目の朝に院長に呼ばれた。

「ちょっと難しい病気なのでがんセンターに予約しましたので行ってください」

なにが何だかわからないががんセンターなのでがんであることは認識したが・・・。まだ夏の暑さが残る九月二十日日だった。

 築地市場に入る車をぬうようにタクシーはがんセンターに入った。すぐ入院した。八階の病室から築地市場が手に取るように眺めが良かった。茂夫の心配は自分の身体よりも手掛けてきていた現場の進捗状況だった。美代子は茂夫の大工が好きな職人であることを改めて思った。

の十月二十一日、胸水検査をおこなった。検査結果はあまり良くないと言われた。二人は説明を受けてもただうなずくだけだった。十月二十六日に検査を行うという。なんでも胸の中から注射針のようなものを刺して細胞をとる胸腔鏡検査。翌日に悪性中皮腫の診断が下されたが、悪性中皮腫と言われても解らない。ただ元の身体には戻らないということだけは理解できた。

美代子は茂夫が癌といわれても信じられなかった。タバコは吸わないし酒も付き合い程度。なんで家の人が癌になるなんて・・・・。

 

 茂夫は薬が効いているのか静かに眠っているだけ。時々起きて来ては外の行きかう船を眺めているだけ。美代子は過ぎ去る時間が長いのか短いのかもわからない。茂夫の妹のサヨ子が娘を連れて見舞いにきてくれた。

「アンちゃん大丈夫か、早く良くなるんだよ」

茂夫が眠ったあとサヨ子は美代子と窓の椅子に座った。

「私は茂夫あんちゃんがいたから高等学校に入ることが出来たんです。あの時は毎月、毎月仕送りをしてもらって卒業できたんです。兄たちはまだ居るけど茂夫あんちゃんがいなかったら・・・」

眼鏡をはずして涙をぬぐっていた。娘の紗智子もハンカチを顔にあてていた。美代子は始めて聞いた話なのでもらい泣きをしてしまった。

十一月十五日に手術をすることになった。手術同意書には手術の危険性、起こりうる合併症、他の有効な治療法の比較、切除された臓器の撮影・記録・処理などの項目が有ったが良く理解できないのですべてにチェックした。左胸膜肺全摘出術は三時間を費やした。サヨ子も来てくれて二人で廊下を行ったり来たりしていた。

「無事に摘出が終わりました」

看護婦に一言いわれた。上を向いている茂夫の顔は優しかった。部屋から見える海辺の高いビルからは明かりがまばゆく光っていた。

手術後は四人部屋になった。海は見えなかったが遠くにビルの陰から東京タワーが霞んで見える部屋だった。

手術を執刀した医師に美代子が一人で呼ばれた。

「石川さんは建築関係の仕事と聞いていますが、中皮腫は石綿が原因になる病気ですね・・。」

「この中皮腫は癌の進行が速いので余命六カ月と思ってください」

美代子は身体が震えた。

「先生、手術もしたし悪い細胞もとったので何とかならないんですか」

「今、世界でもこの中皮腫に効く薬はないのです。世界で研究が始まったばかりなのです」

「こんなに医学が発展しているのに効果がある薬がないなんてそんなことは・・・・」

美代子は突き放された思いが沸き起こり医師に抗議なのか不満なのか口から出ていた。

診療情報提供書をもらい十一月三十日、堀切病院に転院し治療することになった。

 

堀切病院ではニ週間入院して自宅療養となった。茂夫は再婚と同時に葛飾区の亀有に引っ越していた。中学校を卒業してから働くことしかなかった茂夫には一日をただ過ごすことは苦痛でしかなかった。道具の手入れといっても電動工具ばかりなのですることもなかった。身体と気分は良くなったり悪くなったりの毎日だった。

美代子はこれからの生活を考えカレンダーを眺める日々だった。茂夫が外を見ながらつぶやいた。

「俺は現場で板を削っていたと思ったら命を削っていたのか・・・・。」