連載小説「いしのわた」3話

 

「荒い風がふけば風よけになり、雨が降れば雨傘にもにる。ゆくゆく足にを つけろ。交通事故に合わないように見ているからな。それがら病院には行って身体を大事にしろ。そして、悪い人にはだまされるな。金によってきたらはなれろよ」

 

「今日は遠くがら来て俺を呼んでくれてホントに申し訳ない。俺は嬉しくてうれしくてかだづけないな」

 

イタコは経文を唱え数珠をしばらく縦横に振って静かに礼をした。そしたら前のイタコの声になっていた。

 

 美代子は感情が高ぶることもなく時間が戻されていた。ロビーのソファーに身体を沈めて薬研川を眺めた。暗闇からライトに照らされた紅葉の葉が次から次へと流れていく。不愛想で口数の少ない大工職人があんなに私のことを心配していたかと考えるとハンカチが濡れて重くなっていた。夫と過ごした月日も秋の葉のごとく流れて行った。

 

 

 

大工職人

 

 

 

 石川茂夫は福島県鏡石町で生れた。唱歌、牧場の朝のモデルで有名岩瀬牧場があった。茂夫の家は三反農家、父親は田畑を耕し牛三頭の世話し、耕作の無いときは牧場の牧夫で糊口をしのいでいた。兄二人と姉一人は家を出て働き妹は小学校に通っていた。中学校を卒業すると近くの高校にいくのはクラス三十五人のなかで六人だけで、農家の子は誰も高校に行けなかった。行くことも考えられなかった。

 

 茂夫は中学校を卒業すると学校に来ていた就職斡旋で東京に奉公に出ることになった。身長が一五十ちょっとしかない茂夫を案じて母親が鏡石駅まで風呂敷包みを持って見送りにきてくれた。駅のホームは田んぼに囲まれ田起こしが始まっていた。数える人しかいないホームで母親は

 

「どんなことがあっても親方の言うことは守れよ。辛抱が大事だからな」

 

「うん、わがった・・」

 

茂夫は下を向いて黒い汽車に乗った。窓から煤が入ってきた。育った鏡石の村が遠のいて寂しさも有ったが、これから行く奉公先のことが心配だった。

 

広い上野駅の改札口に親方が待っていた。写真で見た親方の姿より父親のような雰囲気があった。茂夫は初めて電車に乗った。京成電車の三河島駅のホームが家の屋根より高かいのには肝をつぶした。田舎の柿の木の上に登っている心持だった。

 

 

 

働く工場は荒川区三河島の出雲木工。神棚や仏壇、仏具を造ったり修理したりする町工場。木工職人になったのは畑仕事合わないし手が起用なので物を造る仕事をしたかったからだった。

 

 夜明けには工場と家の廻りを掃除して、その日に使う材料を準備してから弟子三人と朝飯だった。嬉しかったのは麦飯ではなく白いご飯を毎日食べられること。仕事が終わって夕食のあとは刃物を砥石で研いでから布団に入る生活。

 

 弟子仲間に合わない者がいた。親方の前では良い返事をするが、仕事は適当だし夜には抜け出してメッキ工場の職工と遊び歩いていた。根がまじめな茂夫は一緒の部屋にいることが耐えられなかった。日曜日の朝

 

「茂夫、浅草に馬券売り場が有るからいかないか。買い方は俺が教えるから。」

 

茂夫は

 

「やることがあるから」

 

と逃げた。母親の言うことをまもり年季明けまでは遊ぶことはやめることにしていた。

 

茂夫はまじめに働けば働くほど腕が上達した。親方に褒められるとますます腕に磨きがかかってきた。

 

 奉公の時の仕事は古い仏壇などの洗いから始まり解体して研くことだった。三年してから新しい仏壇の材木の加工が出来るようになっていた。弟子仲間は気があわなかったが五年間辛抱して年季奉公があけた。親方から呼ばれた。

 

「茂夫、お前は一人前になって腕も上がってどこでも食べられるから好きなところで働いてもいいぞ」

 

茂夫は部屋に閉じこもって畳に横になった。天井を見ながら考えた。仏壇は工場生産や中国などから安いのが入るようになってきていた。親方が職人を抱えることは経営的に難しくなってきていたことも薄々わかっていた。一人前の職人より見習いを置いていた方が安くつかえるという事情も有ったようだ。