連載小説「いしのわた」1話

 朝六時、上野の国立美術館前から出発した観光バスは午後三時過ぎには青森県陸奥湾沿いの国道を走り、左の車窓には湖のように静まり返った凪の海。湾にはホタテ筏が浮き、漁師の小さな船が白い糸を引いている。対岸の津軽半島の山々は灰色に横たわっていた。

海辺の遠くを眺めているのは石川美代子、六十三歳の東京下町の主婦。この観光ツアーの乗客は普通の観光客とは違い笑い声がもれない寡黙な人たちで、観光バスの行き先は下北半島の日本三大霊場恐山。観光の目的は黄泉の国に旅立った家族と話すイタコの口寄せを聞くツアー。美代子は犬の散歩仲間の大谷芳江から誘われてツアーに参加していた。

 恐山に着いた頃には午後三時半を廻っり広い駐車場でバスガイドの旗に並んだ。七月の恐山大祭も終わり観光バスは少なかった。青森らしい太いヒバの山門をくぐると五十代のお寺の案内人が待っていた。朱い橋を渡ると山門から真っすぐに本殿が見ええると、美代子の心臓の高まりが続き汗ばんで来た。いよいよ亡き夫と会えるのか。早く行きたいような、逃げ出したいような動揺を抑えることはできなかった。本殿近くで記念写真を撮るという。なんでこんなときに写真なんか撮るのかと小さな怒りが沸いた。

「本来ならこの恐山菩提寺の口寄せ場でイタコさんから皆さんに口寄せしてもらうのですが、都合により宿泊ホテルで口寄せになりましたのでご了承お願いします」

案内人が輪の中で説明した。青森訛りの説明で判らない言葉もあったが茨城県大子町生まれの美代子には大体がわかった。そして緊張感から解き放されたのか動揺した心持が軽くなっていた。

 美代子は芳江と恐山境内を歩いた。修羅王地獄、宇曽利湖には彼岸花のような風車があっちこっちで泣いていた。子宝に恵まれなかった美代子だがヒューヒュー声をかけられているような気がし、大きな風車の音は夫が病で苦しんでいた声に似ていた。

 

 イタコとは盲目や盲目に近い婦人が師匠の家に住込み難解な加持祈祷、経文声唱、神憑りなどの修行を得てユルシが出されて初めてイタコと認められる。イタコは霊媒師とは違い、独特の加持祈祷で依頼人からの仏さんに乗り移ってもらい口で伝える人たちだ。

 東北一円にいるが青森県の津軽地方に多い。イタコは普段は自宅で口寄せしているが、恐山大祭だけでなく依頼人がいればどこにでも出かける。最近はデパートやホテルでもおこなわれていて、美代子たちは観光会社のホテル口寄せツアーだった。

 

 下北半島の山の中にある薬研温泉に着いた時には秋の錦が夕陽に光っていた。渓流のせせらぎが聞こえる座敷で宴会ではなく夕食をすませて部屋にもどった。美代子と芳子は同じ部屋だった。美代子は亡き夫、芳子は交通事故で亡くした息子との再会を願ってツアーに来ていた。

 部屋のドアの音がした。

 

「石川さんの番ですよ」

 

―続く―